漫画家・青山剛昌さん(名探偵コナン)はどんな学生時代を過ごして大成した?


漫画家・青山剛昌さん(名探偵コナン)はどんな学生時代を過ごして大成した?

「名探偵コナン」のコミックスがついに100巻を突破した、マンガ家・青山剛昌さん。

コナン君の周りに起こる事件以前に、作者の青山さんの生態が謎に包まれていますよね。

いえ、実はそうでもなく、ウィキペディアをのぞくと彼がどんな学生時代を経てマンガ家になったか、主要なことは記述されていたりします。

天才推理少年の生みの親はやはり天才だったのでしょうか!?



4人兄弟の次男。漫画を描いても親に怒られていた!

青山剛昌さんは1963年、鳥取県に生まれます。4人兄弟の次男です。

子供の頃からマンガが好きでよく描いていましたが、描くことを「親に叱られた」のだそうです!だから青山剛昌さんは、親に見つからないようにこっそりと描いていたのだとのこと。

親御さんはマンガ家志望や自由な生き方に理解のある人ではなかったのですね・・・。



美術教師を目指して日本大学芸術学部へ。

小学校の卒業文集に「私立探偵専門のマンガ家になりたい」とすでに書いている反面、子供の頃はマンガ家だけを見つめていたわけではなかったようです。

中学の美術の先生に絵を褒められ、「やりたいことがあったらそれをやったらいいよ」と諭され、それでようやく、美術関連の道を考えるようになりました。この段階でもまだ漫画家を志したわけではなく、彼は美術教師を目指して日本大学芸術学部に進学します。

絵の技術を子供の頃から持っていた半面、意外と堅実な人生設計を考えていたのですね。



高校2年から美術部に入り、2つの道を視野に入れ始めた。

青山剛昌さんは野球や剣道が大好きな少年であったそうです。

そして小中高と剣道部に所属しています。こうしたスポーツのたしなみは、彼のマンガの題材やキャラクターに活かさせているのがわかりますね!

高校も剣道部に入りましたが、2年生のとき、将来の職業にアニメーターも視野に入れはじめ、そのため美術部に転向したとのこと。

美術教師になるために大学進学を準備を進め、そしてアニメーターの道も気にかけながら美術部に入る。夢を追う情熱と堅実さを併せ持った青山少年です!



「マガジン」では青山さんの絵は嫌われた!

大学では漫画研究部に所属します。アニメーターを志望していた青山剛昌さんでしたが、先輩に「マンガ家のほうが儲かるよ」と言われて漫画家志望に変えたのだとか。


ちばてつや先生の大ファンだったことから、最初は「週刊少年マガジン」に原稿を持ち込みます。佳作を獲り、順調に成長していましたが、編集長からなんと、「青山くんの絵が気に食わない。マガジンでやるなら絵柄を変えたほうがいい」と突き付けられたのだそうです!

そして青山剛昌さんは、「週刊少年サンデー」に鞍替えをします。


青山剛昌さんほど絵が上手くても、雑誌社の編集長に「気に食わない」「絵柄を変えろ」と言われることがあるのですね!しかし、サンデーの編集部は彼の個性を気に入ってくれます。

1人の専門家に批判されても、そこでメゲてはもったいないですね!


そして1986年、作品「ちょっとまってて」で小学館新人コミック大賞に入選し、サンデーにて漫画家デビューを果たします。



最初は推理マンガなんて描きたくなかった(笑)

小学校の卒業文集ではやくも私立探偵専門のマンガ家になりたい」と書いていた青山剛昌さんですが、このことをご本人はすっかり忘れていたそうです。

そして1994年。当時、「週刊少年マガジン」で「金田一少年の事件簿」が流行っていました。それを意識して、「サンデーでも推理マンガをやってくれないか」と編集部に打診されます。青山剛昌さんは最初、推理マンガを描くことに乗り気ではなく、ネタも続く気配がないので3か月程度で終わるだろうと思っていたのだそうです・・・

それが今や100巻ですから驚きです!



いかがでしたか?

日本を代表する漫画家の青山剛昌さんです。

さぞや順風満帆な、才能に満ち溢れた人生を歩んできたのかなと思いきや・・・親御さんは反対するわマガジンの編集長に絵柄を嫌われるわで、一筋縄ではいかない道のりだったことがわかりました。またご本人は、美術の先生を目指して学生時代を過ごしていたのですね。

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