
親が熱心なスピリチュアリストである場合、お子さんが不登校に陥るケースは多いです。
子に宿る魂は親の感性に呼応するからです。
親御さんが清廉な価値観をしていると、ピュアな魂が赤ちゃんに宿ります。
そんな子が清廉な親に育てられれば、学校の荒々しさに拒絶反応を示すのは自然なことです。
このような場合、どうすればよいのでしょうか?
ひと昔前のスピリチュアリストは、田舎に移住し浮世離れした。
ひと昔前のスピリチュアルな親御さんの場合、こんなとき、子供のために一大決心をして、田舎に移り住む人が多いものでした。
田舎も田舎、かなり僻地に移り住み、浮世離れな生活を選んだのです。
古民家に住みながら自給自足をしたり、沖縄の僻地に家を建ててナチュラルカフェなど営んだり、したのです。
そうして、貧しいながらも幸せに暮す人が多く現れました。
都会的な感性を持つ親子には難しい。
こうした地方移住をするスピリチュアル親子は、2005年くらいからはめっきり減りました。
それは、親御さんがバブル世代に突入したからです。
バブル世代は生まれたときから裕福な家と快適な家電に囲まれて暮らしてきたので、感性が都会的な傾向にあります。女性は特にそうです。
すると、都会の街に生きづらさを感じたときに、「地方に移る」という選択肢を選ぶことができないのです。
スピリチュアリズムでは、「感性の合う場所に移るべき」という考え方をするのですが、バブル世代は都市型生活に依存しているため、行き詰ってしまいます。
田舎の学校もいじめや不良が増えてきており、田舎特有の問題があったりしますが、都会の几帳面すぎる暮らしや超学歴主義に比べれば、ストレスは少ないものです。
しかし、現代の親御さんは、この選択肢を選ぶことが難しいようです。
田舎移住で立ち直る子は多い。
「山村留学」といった言葉を聞いたことはないでしょうか?
20年ほど前から、都会の不登校児を受け入れる田舎の学校や集落は増えています。
田舎ののんびりした気風の中で暮らすことにより、不登校やネガティブから立ち直る子供は多いのです。
また、アトピーが田舎移住で治る子供も多いです。
田舎移住には、そのような実績があります。
親御さんが田舎暮らしに抵抗が無いならば、積極的に検討するとよいです。
田舎移住、田舎暮らしの苦痛を訴える人も多いのですが、田舎暮らしは好む人と好まない人の差が大きいのです。好まない人にとってはリスクのほうが多く、「田舎移住は勧めない」という話にもなりますが、田舎に好感を持つ人にとっては、少々のわずらわしさはあってもトータルで見れば過ごしやすいと感じるでしょう。
宗教が子供を孤立させてしまうこともある。
親御さんが熱心に宗教信仰をしている場合、それが子供を孤立させ、不登校や引きこもりに陥らせてしまうことがあります。
日本の一般家庭は、宗教信仰に対する理解が乏しいからです。多くの場合、「〇〇さんの親は宗教をやっている」と知れ渡ると、その子はいじめられます。・・・これは宗教批判ではなく、「日本社会の実情」です。子供は親御さんのためにそれを懸命に受け流したり、何もなかったフリをしたりもします。
お子さんが、親御さんの宗教信仰に対して同じように篤い気持ちを持っている場合、クラスメイトたちに少々からかわれても、めげないことが多いです。「迫害と戦うことが大切だ」と宗教の中で教わっていたりもするでしょう。
しかし、親御さんが日曜集会に連れていこうとするのをあまり喜んでいないお子さんは・・・学校でいじめられるだけでなく、親も味方ではなくなるため、非常に孤立してしまいます!
宗教信仰とどのように向き合っていくかについて、考える必要があるのかもしれません。
宗教信仰というものの性質が、海外と現代日本とではかなり異なるのです。
シュタイナー教育やモンテッソーリ教育が正しいとも言い切れない。
スピリチュアルを好む親御さんは、子供の不登校について悩んだり調べたりしている際に、シュタイナー教育やモンテッソーリ教育の存在を知り、興味を持つ人が多いです。
学歴主義にならずに右脳の発達を重要視したり、マイペースであることを尊重したり、競争を一切せずに学んだりなど、感銘を受ける人は多いでしょう。
しかし、それが「正しい」とも言い切れないのです。
なぜなら、大人になったあとの社会(会社)や高校受験、大学受験はそんなシュタイナー教育やモンテッソーリ教育の理念と大きく反するからです。すると、シュタイナー教育やモンテッソーリ教育でのびのび育ちすぎると、高校受験や会社労働に適応できない大人になってしまうことが、多くなっています。
これも宗教の問題と同じように、日本は海外とは文化が違うために、起こりがちな惨事と言えます。
特殊な教育で非常に穏やかな気質に育てる場合、「そのあとどうやって生きるか」を併せて考えておく必要があります。親御さんの資産で守ってあげるのか、徐々に普通教育や一般的な社会の幼稚さに適応させていくのか、その対策は様々です。
これは、幼稚園だけをモンテッソーリ園に入れるケースでも起こりえます。